大阪信愛生命環境総合研究所(OSILES)

OSIES News 人と環境

No.4 (2005)

2006.1.15

P1
環境の時代を考える
P2
2004年度環境総研講座
P3
<人と環境を考える-介護の立場より>-人として、自立して-
P4
NPO/NGO団体紹介「柏原市学びの森づくり委員会」

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OSIES News 人と環境 No.4 p.1 (2005)

環境の時代を考える

大阪信愛女学院短期大学助教授 足高壱夫

本当の豊かな生活を手に入れるために、フェアトレードを通して、
途上国の生産者とともに日本の消費者もエンパワーメント


 本学の経営母体である幼きイエズス修道会日本管区では数年前からカンボジアで支援活動をはじめている。 学生たちも学園祭の収益金などを寄付したりして協力している。 今年の学園祭では支援先のカンボジアの人たちの作ったモノを販売する計画があるようだ。 これは、「お買い物で国際協力」といったキャッチフレーズで紹介されるフェアトレードという方法である。

 フェアトレード(公正な貿易)とは、貧困に苦しむ途上国の生産者と「適正な価格」で 商品取引を持続的に行うものだ。 「適正な価格」とは、生産者に、子どもたちの教育費や次の生産への投資などの資金や、 環境負荷の少ない生産などにかかるコストを保証できるものをいう。 こうして彼らが自分たちの生産活動を通じて自立していくことを支援するのである。 そのため商品の販売には生産者や生産現場の情報が付されているのがふつうである。

 最近、このフェアトレードの目指すべき到達点についての話を、あるセミナーで聞く機会をえた。 それはこれまで北と南との関係とは異なる”南と北の「オルターナティブな関係」の構築”を目指すためであり、 その方法がフェアトレードであるという話であった。 これは、フェアトレードの日本での草分け的存在で、  日本ネグロスキャンペーン委員会共同代表の前島宗甫さんの フィリピンでの支援活動の中での「出会いと思考の体験」を通して語られた。 前島さんが「物資の支援」から「フェアトレード」へと至ったのは、 直接的には1985年に起こったネグロス島での飢餓問題に取り組む中からであった。 この飢餓の背景には、アメリカ向けの輸出を主とした砂糖生産のモノカルチャー経済があった。 すなわちこれは南の途上国に共通する構造的な飢餓であったのである。 緊急支援では解決できないものであったのだ。

 話は変わるが、フード・マイレージ、ウッド・マイレージという言葉がある。 食品あるいは木材の輸入量とそれぞれの輸送距離を掛け合わせたもので、 食品や木材の輸入にどれくらいのエネルギーを消費しているかを計算する方法である。 もちろん日本はいずれも世界一だそうだ。

 また、先日こんな記事を目にした。1日に約60万トン・300万人分以上の食事にあたる食品が 売れ残りとして全国のコンビニやスーパーなどの小売店から捨てられているという。 「欠品したらお客さんは逃げるんです」と、 店主たちは約1割程度を売れる見込みより余分に仕入れている結果だそうだ(『毎日新聞』2005年6月6日朝刊)。 これらの捨てられる食品の中にも、おそらく海外から輸入されたものが多く含まれていることであろう。 それらの食材がどんな人たちによって、どのように作られた、私たちはあまり関心がない。

 フィリピンのバナナ農園で働く労働者の実態を私たちが知ったのはもう20年も前のことである。 安い商品を生み出すために、途上国で児童労働が行われていることも知らないことではない。 莫大なエネルキーを消費し、世界中からモノを集め、環境破壊と人権侵害に加担したうえに、 大量のゴミをはき出すのが今の私たちの豊かな生活である。

 最近、BSE問題などにより、国民の食品の安全性へ関心の高まりから、 外食産業にも食材の原産地表示を求める動きがある。 いいことだと思うが、もう一歩進みたい。 自分たちの安全性だけでなく、作る人たちの安全や環境のへ関心や想像力も 持つことができないかと思う。

 先のセミナーを主催したのは1979年に「インドに井戸を贈る運動」として発足した (社)アジア協会アジア友の会を母体に、1996年にフェアトレードを専門に扱う団体として発足した 神戸にあるフェアトレード・サマサマであった。 「サマサマ」、やさしい響きをもった印象的な言葉である。 インドネシア語で「お互いさま」「どういたしまして」という意味だそうだ。 貧困、飢餓、環境破壊といったハードな問題に立ち向かうときのキーワードだと思う。



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OSIES News 人と環境 No.4 p.2 (2005)

2004年度環境総研講座

 2004年度大阪信愛女学院短期大学公開講座(城東区、鶴見区共催)の内、 環境総研講座として3回の公開講座を開催しました。
 第1回は5月13日(木)に「生命の歴史をたどる-人はどのように誕生したか」の題目で 本学教授・環境総合研究所長高井明徳氏による講演が、 第2回・第3回は本学助教授足髙壱夫氏により、 5月20日(木)に「里山保全活動入門-里山保全活動って何?」の題目の講演が、 5月22日(土)に「里山保全活動体験-森には入って作業してみよう」ということで、 大阪信愛女学院の里山(四条畷市)にて実際に活動体験が行われました。 第4回は6月23日(水) 「現代社会と中世の出会い-圃場整備を前にした中世村落史跡-」 泉佐野の歴史と今を知る会 井田寿邦氏にご講演いただきました。 いずれも環境と人間および社会に関わる現代的問題として興味深い内容の講座でした。 第2、第3、第4回の講演内容については、本誌前号に講演に関連した内容のご寄稿いただきましたので、 ここでは第1回の講演内容について紹介します。

生命の歴史をたどる-人はどのように誕生したか

大阪信愛女学院短期大学教授 高井 明徳

 生命の誕生:生命は約40億年前に誕生して以来、進化多様化し、人類に到る多様で複雑な生命世界を誕生させた。 化学進化は水素、水、メタン、アンモニアなどの簡単な化学物質からRNAを遺伝子に持つ原始細胞を誕生させた。 この生命の誕生は、生物は生物から生まれるという大原則の唯一の例外である。 約27億年前に光合成細菌が誕生し地球上に酸素が蓄積され始めると、 呼吸など本来毒である酸素を逆に効果的に利用する生物システムが進化した。 オゾン層誕生による紫外線防御環境も出来上がった。 約21億年前には明瞭な核と細胞小器官を持つ真核細胞生物が誕生すると共に多細胞化し、急速に進化していった。

 生命の多様化:古生代(約6-5億年前)初期は三葉虫など無脊椎動物が繁栄、 最初の脊椎動物の魚類が出現し、魚類はさらに顎を獲得し急速に進化繁栄した。 顎の出現は脊椎動物進化の重大な変化であった。 また、最初の陸上植物、昆虫類が出現し、陸上に生命世界が築かれ、シダ類の大森林が繁栄、裸子植物も出現した。 魚類から両生類が進化し、さらに爬虫類が誕生した。
 中生代(約5-0.7億年前)は爬虫類および裸子植物繁栄の時代であり、原始哺乳類、被子植物、鳥類が出現した。 大型爬虫類の恐竜類は繁栄したが絶滅した。
 新生代は恐竜絶滅の後、哺乳類が繁栄し、この時代霊長類が人類へ進化、植物では被子植物が繁栄した。 生物の進化で注目すべきは、最も進化したものがさらに進化するのではなく、 次の世代に進化する生物はすでに平行して進化していることがわかる。 例えば恐竜時代にすでに哺乳類が誕生しており、恐竜絶滅後に急速に進化多様化したのであった。

 進化論:進化論は地球上の生物は不変の創造物であるという考えを否定した。 イギリスのダーウィンはビーグル号での旅において進化の事実を確信し、 1859年「種の起源」を著し、進化の事実とその機構について科学的根拠により詳細に説いた。 生物は、偶然に生じる変異の内、生存に有利なものが選択され、 不利なものは淘汰され(生存競争・適者生存)、長い期間を経て進化するという 自然選択説(自然淘汰説)により説明した。 自然選択説への批判は多かったが、ド・フリースの発見した突然変異を進化の主要因とし、 集団遺伝学による理論構築を受け、総合説(ネオダーウィニズム)として確固たる地位を築いた (その後の多数の進化説は自然選択説で十分説明され得る)。

 分子進化:木村資生による中立説(1968)は、遺伝子変異の多くは中立とするもので、 自然選択説に相容れないと大論争になったが、これを指示する多数のデータが提供され、分子進化の基盤となった。 なお、DNAレベルでの進化と表現型レベルの進化は異なるもので、その関係の解明は重要な課題である。  大野乾(1968)は遺伝子の重複が遺伝子変異を蓄積し生物進化の重要な要因になるとする 遺伝子重複進化説を唱え、分子進化研究に貢献した。

 分子時計:中立説によってDNAが生物の分岐年代を知る分子時計に成り得ることが判明し、 分子時計による生物進化の道筋を明らかにする分子系統学が誕生した。 分子時計に用いるDNAとして、ミトコンドリアDNAは母系遺伝で進化速度が速いため近縁種間の解析に好適で、 人類にも適応され、人類進化の解明も大きく進んだ。 分子時計はヒトに最も近縁の類人猿はチンパンジーで共通の祖先から約500万年前に別れたという、 古生物学的に約1500万年前とされていた従来の説とは大きく異なる驚くべき結論を導いた。

 人類進化:人類の進化は、約200万年前から急速に進み、猿人、原人、旧人、新人へと進化し現代に至っている。 現世人類である新人の起源は、約100万年前にアフリカを出て、 世界に広まった原人が各地域で現代人へ進化したとする多地域進化説が有力であったが、 これについても、1980年代後半、ミトコンドリアDNAの解析から、 約20万年前にアフリカで誕生した現代人の祖先が世界に広がり今日の人類に到ったとする 驚くべき仮説(単一起源説・イブ仮説)が提出された。 この説では、すでに存在、また併存していた人類はネアンデルタール人を含め絶滅したことになる。 人類進化の年代や道筋はかなり判明したが、なぜ人類が誕生し進化できたのか、まだ不明な点は多い。



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OSIES News 人と環境 No.4 p.3 (2005)

<人と環境を考える-介護の現場より>
-人として、自立して-


西 節子

私は、約35年間、人を相手の看護という職業に携わってきました。 そして、57歳の現在、介護老人保健施設で100名近くのご利用者の方々のお世話をさせていただいています。 平均年齢が85歳、介護保険の要介護度の平均が3.5以上になり、 8割の方々が何らかの形で認知症を抱えていらっしゃいます。 大正、昭和と日本が戦争に巻き込まれ大変な動乱の時期に出産、育児、教育をしてこられた女性、 会社員として、また、自営業でご家族を支えてこられた男性のお年寄りが、 身体的にも障害を抱え認知症になり、施設での生活を余儀なくされています。 そして、私たち介護に携わるもの達は、そのお年寄りの皆さんの安全で穏やかな日常を提供していかねばなりません。

*認知証:昨年まで「痴呆症」と称していましたが、侮辱的な表現であるという理由から用語が変更になりました。 痴呆症と同意語であるとご理解ください。

1.生きている実感は体感

生きていくために欠かすことのできない日常生活行為をお年寄りから奪っておいて、 生きている実感をもてというほうが無理です。 考える必要もない、行動する必要もない、 そして何でも他人にやってもらっていたのでは、生きている実感は持てないでしょう。 たとえ、施設に入居せざるを得なくなっても、 支援があればまだまだ「自分のことは自分でできる主体的な生活」を営むことができるお年寄り。 にもかかわらず、「できることさえ他人にやってもらう生活」「していただける生活」に追いやられ、 挙句の果てには「運動だ」「頭の体操だ」というのでは、誰だって生活感を失っていくでしょう。 まして認知症という状態にある人は、記憶障害があるため今の今を生きているのです。 ですから、日常生活行為が連続的に繰り返し行われていなければ、 生活の継続性を体感し実感できるはずがありません。 たとえ自宅で日常生活の継続が困難になった場合でも、 専門職が24時間配置された施設では「生活の場」は継続できなくても、 生活の体感や実感を継続することは可能です。 それを可能にするのも不可能にとどめるのも、 社会の仕組みや専門職の専門性にかかっていることを忘れてはならないのです。 決してお年寄りの責任ではありません。

2.自分自身の能力を発揮して生きてきた先に認知症がある

認知症という状態になった人は、生まれたときからそうではありません。 生きていくための手立てを身につけ、駆使して生きてきた人たちです。 そのような意味で認知症は「後天的」であり、元は「生活者」です。 しかも、能力のすべてを失った状態ではなく、長年にわたって培われ、 体験化、記憶化されてきたことは、たとえ自分の名前を忘れても「できる」のです。 お年寄りのほうから見れば、施設では一般的に「何を食べたいか意志表示したいのに聞いてくれない」 「調理能力があるのに発揮する機会がない」など、「その者が有する能力に応じて自立した日常生活」 を営みたくても営めない環境になっているのです。
 持てる力の限り生きる姿を奪っているのはお年寄り自身にその能力がないからではなく、 お年寄りを取り巻く環境なのです。

3.まだ見ぬ介護者へ

・ 私はすべてを失ったわけではありません。
・ どんなことでも、まず問いかけてみてください。
・ 何でもまず私の意志を確認してください。
・ 食べる、食べない、行く、行かない、どうしたのって聞いてみてください。
・ 訳のわからないことを言うかもしれませんが、私は病気です。
・ 認知症という状態にあるのです。
・ 察してください、よく見てください。

4."愛語"のシャワーとされたらうれしい介護

お年寄りは愛情の世界から離れていますが、お年寄りにこそ愛情をあふれさせなければなりません。 よいところを見つけて「素敵ですね」と声をかける、そうすると心が強くなります。 愛語しかお年寄りを救う道はないと思います。 奇跡を起こすのは医療の言葉ではなく、身体を支える道具でもない、 愛の言葉だけがその人をよみがえらせる力を持っているのです。 老いるのも介護も、共に順繰りです。 自分がされたくないことはしない、こんなふうにされたらうれしいと思う介護をさせて頂こうと思います。

<参考文献>
・和田行男:大逆転の痴呆ケア、中央法規出版、2004
・第15回全国介護老人保健施設香川大会開く:良寛さんに見る楽しき老年、 老健2月号、社団法人全国老人保健施設協会、2005
(介護老人保健施設グリーンライフ療養サービス部副部長、ケアマネージャー・看護師)

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OSIES News 人と環境 No.4 p.4 (2005)

環境保全活動を行うNPO・NGOやボランティア団体を紹介するコーナー

『学び』を通した里山保全活動 柏原市学びの森づくり委員会

 『里山の保全』『森づくり活動』『森林ボランティア』などの言葉がよく紙面をにぎわせていますが、 生駒山系でも、たくさんの森林ボランティアがそれぞれのフィールドで保全活動を進めています。 また活動内容も、森林・竹林整備にかかるものや森の恵(素材)を利用して生活に活かすものなど様々で、 これらの活動に共通するのは、「森林について考えること」「楽しみを持って活動すること」などが挙げられます。 そこで、ここでは「森林について考えること」を取上げてみます。 森林についての考え方は人それぞれであり、この考え方で様々な活動に分かれていきます。 では、この「森林についての考え方」はどうやって培われるのでしょうか。 正確ではないですが、大きくは本やPC、TVなど他人の経験の集積による知識に基づくものと、 少年時代の体験など自分の過去の経験に基づくものに大別できると考えられます。 これらを比較して検討する必要はありませんが、誰もがそれぞれの思いの源(よりどころ)を持っていることは確かです。

 生駒山系の各地では、都市化が進展する中で、林業など森林所有者による森林の維持活動が衰退している一方、 森林の多様な機能(防災、水源確保、ヒートアイランド対策、大気の浄化、レクリエーション等) の高度な発揮を求める声は大きくなっています。 それとともに、地域住民や都市住民による森林の保全活用への参加は増加の傾向にあり、 この傾向は、若年世代より高齢世代において顕著です。 では、次世代を担う子供たちではどうでしょうか。 森林について、自然環境について考える糧を持っているのでしょうか。

 今回は、小学生を対象に里山保全の普及活動を始めている柏原市の森林体験学習を紹介します。 柏原市では、平成16年3月1日に【柏原市学びの森づくり委員会】が発足しました。

 この森づくり委員会は、次世代を担う子供たちや地域の人たちに自然を知り、 大切にする心を育んでもらうため、①柏原市、②大阪教育大学、③柏原市教育委員会、 ④森林ボランティア関係者、⑤地元の土地所有者の代表である大阪府森林組合柏原地区推進協議会、 ⑥大阪府中部農と緑の総合事務所の参加により結成されています。 結成の背景には、学校教育の中で児童自らが体験によって学ぶことのできる 「総合的な学習」の時間が設けられたこと、大阪府中部農と緑の総合事務所と柏原市で、 高尾山創造の森(府民参加の森)を活用した間伐や植栽などの林業体験活動を 平成5年度から近隣の小学校を対象に進めてきた実績があることなどがあります。 そして、この林業体験活動は、平成14年度からの大阪教育大学の参加により、 樹木や森の働きについて学ぶ森林体験学習となり、年間を通した活動として進められています。

 活動は、小学校の総合的な学習の時間を中心に、教育大学の学生リーダー(ボランティア)の引率により 高尾山創造の森で実施しています。 学習プログラムには、森の発見に関するものや、土壌や葉っぱ・生きものの観察、 植栽作業、木の生長を考える間伐作業などがあり、 子供たちは様々な発見に驚いたり、興味を持つ機会となっています。

 しかしながら、このような活動が地域に根づくためには、 学校現場の先生の理解が必要となることや地域との連携、 森林から離れている小学校での活用方法など多くの課題もあります。 柏原市学びの森づくり委員会では、現在これらの課題の克服に向けて検討が進められており、 今後が期待されるところです。

(大阪府中部農と緑の総合事務所   釜谷  聡)

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