大阪信愛生命環境総合研究所(OSILES)

OSIES News 人と環境

No.6 (2007)



P1
環境の時代を考える-植物と人間との関わり-小笠原諸島を訪ねて- 
P2
NPO/NGO団体紹介「菜の花プロジェクトみのお」
P3
<人と環境を考える>-ユニバーサルデザイン
P4
レイチェル・カーソン生誕100年を迎えて


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OSIES News 人と環境 No.6 p.1 (2007)

環境の時代を考える

大阪園芸療法研究会会長 太田 周作

植物と人間との関わり-小笠原諸島を訪ねて-



 長い間の念願がかなって、2001年7月に小笠原諸島の父島と母島を訪れることができた。 若い頃より熱帯植物の栽培に携ってきた私にとって、この島はあこがれの地の一つであった。
 小笠原諸島は東京の南1,000キロの太平洋上に点在する30余りの島々からなり、亜熱帯に位置している。 海底火山により生じたため、一度も大陸とつながったことの無い、日本では唯一の海洋島である。 そのため固有の生物が多く、東洋のガラパゴズと称されている。 戦後、アメリカの占領下にあったが、1968年に返還され、東京都に属している。 一般に海洋島の固有種の特徴として、環境の変化に弱く、外来種との競争に負けて 短期間に絶滅に向かうことが多い。
 日本返還後、小笠原に関する記事が、新聞や雑誌に度々掲載されるようになったが、 農業や植物に直接関係するものをいくつか拾い出してみた。
 以上の記事が書かれてから、私が島に旅する迄、30~20年余の時が流れていた。 そのため、この旅の目的は、それらの現状を観察することにあった。
 以上、過去の記事と、主に島で見聞したことを列記しただけであるが、 コメントを加えなくても、環境や自然保護のかかえる問題点が自ずから浮かびあがってくる。 小笠原はその縮図だと改めて実感した。
 最後に私の園芸家としての心情を吐露すると、 移入種に対する「昔善王、今悪役」のレッテルは人間の身勝手な極みであって、 同情さえ禁じえない。 また、絶滅寸前の固有種の繁殖と植えもどしに取組んだ人達に拍手を送りたい。 地球上から生物の種の一つでも消滅してしまうのはやはり悲しい。 どのような形であれ、いつまでも生き残ってほしいと願うしだいである。

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OSIES News 人と環境 No.6 p.2 (2007)

環境保全活動を行うNPO・NGOやボランティア団体を紹介するコーナー

まちなかに油田を!「菜の花プロジェクトみのお」の挑戦

坂本 洋(菜の花プロジェクトみのお)

◆菜の花プロジェクトって?

 てんぷら油などの「廃食油からディーゼル燃料を作る?」という 夢のようなプロジェクトが数年前から静かに進行している。 1980年代に滋賀県で琵琶湖を守るために、廃食油を回収してせっけんを作る運動が広がった。 しかし無リン洗剤の開発によりせっけんが売れなくなり、 回収した廃食油のドラム缶が山積となった。 そのピンチを救ったのがBDF(バイオ・ディーゼル・フュエル) つまり軽油に代わるトラック燃料としての利用であった。
 ドイツで考え出された生成法を取り入れ、廃食油からディーゼル燃料作りが始まった。 ミニプラントも製造され、滋賀県も応援し、 「菜の花プロジェクト」として全国に発信された。 各地でそれぞれの取り組みが広がり、06年末現在、NPOや自治体、企業により、 全国150箇所で取り組まれている。
静岡県トラック協会はトラック燃料として積極的に使用。排ガスは軽油より圧倒的に クリーンで、かすかにてんぷらのにおいがする。 京都市では地球温暖化防止に向けて、全市域で廃食油回収システムを作り、 BDF精製プラントを導入し、ごみ収集車や市バスの燃料に使用している。

◆菜の花栽培から始めよう

 さらに廃食油の回収に止まらず、ナタネを休耕田に撒き、菜の花畑として見て楽しむ。 そこで取れた菜種油でてんぷらを揚げ、学校給食などに利用し 、廃食油は回収してBDFを作るという「菜の花エコプロジェクト」が 全国各地に静かに広がっている。
 菜の花は日本の原風景、安い外国産ナタネに押され、途絶えた国産ナタネを復活し、 菜の花畑を景観資源として町おこしに活用したり、 環境教育として子どもたちと一緒に栽培したりする取り組みが行われている。 昨年からは大阪府が遊休農地で菜の花を栽培し、ナタネから直接BDFを作り、 阪急バスを走らせようという取り組みをスタートさせた。 石油はやがてなくなる資源だが、菜種油は再生可能なエネルギー。 ドイツでは温暖化防止のため、国を挙げて「畑の油田」として菜の花栽培が行われている。

◆カーボンニュートラル

 化石燃料を燃やせばCO2は増加するばかりだが、 植物は成長の過程で空気中のCO2を吸収しており、 燃やしてもそれを吐き出すだけだから増加しない。 これをカーボンニュートラルという。ここに着目してバイオ燃料が注目を集めている。 全ての使用量をまかなうことはできないが、ガソリンや軽油に5%、10%混ぜると、 その分だけ化石燃料の使用を削減できる。 さらにバイオ燃料は有害物質や黒煙をほとんど出さないので、排気ガスもきれいになる。

◆「菜の花プロジェクトみのお」

 「菜の花プロジェクトみのお」は2005年8月発足。 早速箕面市止々呂美地区の遊休農地20アールで、農家と協力してナタネ栽培を始めた。 関心のある市民や学生40人ほどが参加して、慣れない農作業に汗を流した。 種まき、まびき、草抜きを経て、2006年4月には黄色い菜の花畑を実現。 菜の花祭りを行った(写真)。
 6月にはナタネを収穫、搾油して止々呂美ブランドのナタネ油を製造、 天ぷらなどに使った後、BDF燃料にする予定だったのだが・・・?
 このほか、小学校の環境教育に協力して、BDFで走るゴルフカートに試乗する イベントを行い大好評を得た。 天ぷら油で車が走る。実際に運転した子どもたちの目は輝いていた。

◆課題は?

 市街地に菜の花畑を実現できればアピール効果は大きい。 現在、協力農家を探している。さらに京都市のように、全市域で廃食油回収システムを作り、 BDFで全ての公用車を走らせたい。 私たちが活動する箕面市の市長は環境が専門だけに可能性はある。


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OSIES News 人と環境 No.6 p.3 (2007)

<人と環境を考える>

ユニバーサルデザイン


大熊 章夫


 ユニバーサルデザインという言葉、聞かれたことはありますでしょうか。 障害・能力により差異の生じない製品・施設の設計・デザインのことをいうのですが、 ひらたく言えば「誰もが使える」工夫をしたものを指します。

 例えば小さいものでは、文房具。小さい力で切れるはさみ(写真1)や 留めやすい押しピンなど、だれもが使いやすい製品が多く開発されています。 また、缶ビールなども、最近では点字が刻印されているのにお気づきでしょうか。 障害のある方のために「特別に」製品を作るのでなく、誰もが使えるように意識する、 ということにポイントがあります。

   城東区では、各戸にお配りしている広報誌ふれあい城東や、さまざまなお知らせに、 SPコードを付けています。これは、このコードをスピーチオなどの読み取り装置にかけると、 機械音声で内容を読み上げる、というもので、視覚障害のある方にとっては点字でなくとも、 晴報を入手できることとなります。

   また、大きいものでは、施設そのものがユニバーサルデザインを取り入れている 場合があります。学院近くの今福鶴見のダイヤモンドシティがそうです。 ここは、設計段階から多くの障害者団体の意見を聴取し、共に設計・建設を進めてきて、 昨年オープンしました。 特にトイレは、キーポイントになっています。 障害と一口にいっても、肢体不自由、視覚障害、内部障害など様々で、 高齢者、赤ちゃん連れの方など、ちょっとした配慮の必要な方はたくさんいます。 いろんなニーズに応えられるように工夫が凝らしてありますので、 ぜひ見学いただき、その意味を考えていただくと面自いと思います。

 このように、「ユニバーサル」という考え方が広まる一方、 技術の進歩が逆に作用する場合があります。 この10数年で、駅の券売機や銀行のキャッシュ機はタッチパネル式に変わりましたが、 これが視覚障害者には使いにくいのです。 郵便局にあるような、ボタン式の方が断然良いのに、 あっというまにタッチパネル式が主流となってしまいました。

 こうしたことは、すべて意識の問題が大きいと思います。 「結局こころの問題だ」といわれるのはそのことによります。 「共に生きよう」という意識のあるなしが、工夫をするかしないか、 の分岐点になります。 今でも、家の近くに障害者の施設が建つ、というと反対運動がおきます。 重度障害者の雇用も遅々として進みません。 だれもが不安なこと、面倒なことは嫌なのでしょう。 「杜会の成熟」というのは、どこまで他者を受け入れられるのかがその物差しに なるのではないでしょうか。

(大阪市城東区健康福祉センター)


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OSIES News 人と環境 No.6 p.4 (2007)

レイチェルカーソン生誕100年を迎えて

「沈黙の春」-今なお警鐘の色あせず



 本年はレイチェル・カーソン(Rachel Carson)生誕100年にあたります。 この記念すべき年に、レイチェル・カーソン女史、 そして、その著書「沈黙の春」を振り返ってみたいと思います。

 カーソンは1907年5月27日、米スプリングデールで生まれました。 ペンシルベニア女子大を卒業。大学では女性では当時は珍しい動物学を学びました。 さらにジョンズ・ホプキンス大学修士課程を修了しましたが、 ここで海との出会いがあり海洋生物学者となりました。 米漁業局(後、漁業野生局)に入局しましたが、 著書「われらをめぐる海」がベストセラーになり、漁業野生局を退職し、 文筆活動に専念するようになりました。 そして、海の作家としてその地位を確立しました。

 1958年、一通の手紙により「沈黙の春」の執筆を決意しました。 当時、DDTを代表とする農薬が万能の化学薬品として大量に散布され、 結果として、環境破壊がすすみつつありました。 1962年「沈黙の春」が出版され、大きく注目されることとなりました。 当然のごとく化学工業界からは反発の声が挙がりました。 しかし、ケネディ大統領の心を動かし、農薬の危険性について検討されることとなり、 結果的にDDTをはじめ危険性の高い農薬は使用禁止になり、 環境問題の重要性が社会に浸透するきっかけとなりました。

 「沈黙の春」では農薬の問題が詳細に記されています。 最初の章「明日のための寓話」では、農薬により自然が破壊された町の光景を描写し、 「・・・自然は沈黙した。・・・春は来たが、沈黙の春だった。 ・・・すべては人間が招いた禍だった」と記されています。

 本書の概要は次のとおりです。農薬には恐るべき力があり、 単純に農薬の力で自然を支配できると考えるのは誤りであり、 逆に自然や人間を脅かす力として大変な事態を招くことになることを認識すべきである。 農薬の汚染は、自然界に大きく広がり、食物連鎖で生物中にも連鎖的に広まり、 しかも生物濃縮により毒性は飛躍的に高まっていく。 農薬の影響は生物界に大きく広まり、ついには人間にも及ぶ。 わずかな害虫や雑草を駆除するためにどれだけ大きな犠牲が伴うのか、 農薬に頼るのではなく別の道、生物レベルでの駆除法を考えるべきである。


2006年度環境総研講座

 2006年度大阪信愛女学院短期大学公開講座(城東区、鶴見区、旭区共催、都島区後援)の内、 環境総研講座として3回の公開講座が開催されました。

 第1・2回(第15・16回環境総研講座)は、 「昆虫の世界を楽しむ」をテーマに、 大阪信愛女学院中等部教頭・短期大学講師の松田潔氏を講師として開催されました。 第1回は5月27日(土)に本学鶴見学舎において「①虫の博物誌と科学」の題目で 講演いただき、6月3日(土)は「②フィールドでの虫の観察会」として、 鶴見緑地公園において観察会を行いました。 講演会では、先生の専門のベニボタルのことでテレビ出演されたビデオ上映や、 先生が昆虫と関わるようになった自分史などを織り交ぜながらの楽しいお話しでした。 観察会は、講演会以上の多数の参加者を得て、小学生の親子連れの方が多数参加され、 楽しい観察会となりました。高大連携の提携授業を行っている鶴見商業高校の 生物担当で昆虫に詳しい村上豊先生も参加され、 参加者からの質問等の対応にもサポートいただきました。

 第3回(第17回講座)は、大阪府立文化情報センター共催事業として、 6月24日(土)に大阪府立文化情報センターにおいて開催され、 大阪園芸療法研究会会長で本学非常勤講師の太田周作氏により 「ヒトと植物とのかかわり-園芸活動はなぜ必要か-」の題目でご講演いただきました。 先生の長年にわたる研究・経験の中での造詣の深いお話しに、 多くの考えさせられることがありました。